子リスが「場面緘黙症」という言葉を知った日

 中学校に入ってから、子リスは時折、学校で喋ることが出来なかった頃のことについて、自分からぽつぽつと話すようになりました。
「何だったんだろうなあ。」
「『いつか喋れるようになると思っていなさい』とお母さんにずっと言われていたから、そうは思っていたけど。」
「でも、もしかしたらこのままかもしれない、と思ったこともあった。」
「喋れない状態に、慣れてしまうっていうのもあった。」
…といった具合に、私が夕ご飯の支度をしているところへふら~っとやって来て、前置きもなく話し始めたりします。

 そして今年(2013年)の春ごろ、子リスはついに(!)、「場面緘黙症」という言葉を知りました。全く偶然のことでした。或る日の夕方、学校から帰った子リスが、前の晩に録画してあったテレビ番組を見ていた時のことです。それは、「ザ!世界仰天ニュース」という番組でした。
 アメリカの、小学校一年生の女の子の話が取り上げられていました。家ではとても陽気でおしゃべりなのに、学校に行くと一言も喋らない。学校の先生から「〇〇ちゃん、おうちではお喋りしていますか?」と連絡があって初めて、両親は娘が学校で一言も発していないことを知らされる…。

 台所からカウンター越しにテレビを眺めていた私は、このエピソードが始まってすぐに、「あ…これはもしかして…」とドキドキしはじめたのですが、慌ててテレビを消すようなものでもない気がして、そのまま、テレビと子リスの背中とを見比べながら、なりゆきを見ていました。

 〇〇ちゃんの両親は女の子に、「ちゃんと学校でもお話しないとダメよ」と言い聞かせるのですが、女の子の状態は変わらず、そのうちに学校では、喋らないことでクラスメートからあだ名をつけられたり、いじめられたりするようになります。
…ここでテレビの画面に、大きく、「場面緘黙症」という文字が。

 私は「あっ」と思いましたが、その瞬間子リスが私の方を振り向いて、
「これ…?」
と、まんまるい目で尋ねました。驚いた顔、でもショックというよりは、単純に大発見をした時のような表情に見えました。
 今更隠しても仕方がない。もう十分大きくなったのだから大丈夫。そう思って私は、「ああ、うん。」
と答えました。

 場面緘黙症という言葉を知ることは、いずれは(ある程度自分の問題を認識してそれに取り組むという段階になったら)必要になるかもしれないとは考えていましたが、私は子リスが小学生の間中、子リスをその言葉に触れさせないようにと、神経を使っていました。
 今思えば、その言葉を本人が知ることは、もしかしたら大したことではなかったのかもしれません。悪影響があるというわけでもないと思います。でも当時、本人に「病感」を持たせない、ということに、執着に近いほどこだわりを持っていた私は、必死でそれを“隠して”いました。ですから、今子リス本人が「緘黙症」という言葉を知り、それについて語っているのを見る時、何とも言えない感慨を覚えるのです。

 子リスは、少し照れたように話し始めます。
「ねえ、あの、ほら、何だっけ、場面沈黙?」
「ちんもくじゃない。かんもく。」
「ああ、それそれ。それって、お母さんはいつから知ってたの?」
「子リスが小学校に入ってすぐぐらいかな。」
「ふーん。いろいろタイヘンだったんだねえ。」

 それから子リスは少しずつ、緘黙症というものについて私と話をするようになり、このブログの存在も知りました。なにしろ6年間の空白を埋めるべく、記憶をたどりつつ書いているブログなので、本人に確かめたいことも山ほどあるのです。教えてもらえれば随分助かるのですが、これはとてもデリケートな問題に違いありません。本人にとって、過去を詳細に思い出すことがストレスになったり、今の状態に悪影響を及ぼしたりすることがあってはいけないので、私にも躊躇がありました。それで、おそるおそる、
「時々、前のこと…子リスがどんな気持ちだったのかとか、聞いてもいい?」
と“お伺い”をたててみると、あっさりと
「ウン、いいよ。」
との返事。多くの事に関して、あまり考えずにすぐ「いいよ」「いいね」というのが子リスの特徴の一つではあるのですが、今回はTシャツの柄とか、夕飯のおかずというレベルの話ではありません。こんなに大事なことをそう簡単に承諾していいの?本当にわかってる?とも思いましたが、そんな子リスも、どうしても「心にそぐわないこと」に関しては、「どうして?」「それはちょっと…」と、ゼッタイに承諾しない子であることも知っているので、有難く、時々本人の意見を頂戴することにしました。

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